不登校はずるい」という声は、今でも少なからず存在します。その背景には、「なんであの子だけ学校に行かなくていいの?」「みんな頑張って通っているのに、あの子だけずるい!」といった誤解・偏見があります。しかし、本当に不登校は「ずるい」のでしょうか?このコラムでは、その問いの背景にある思い込みや社会的な構造を見つめ直し、不登校という選択にどう向き合うべきかを一緒に考えていきます。
なぜ「不登校はずるい」と思われるのか?世間の声とその背景

「不登校はずるい」と思われてしまう背景には、主に以下の3つが考えらます
・努力している他の子と比べると不公平だという偏見
・学校に行かないのが許されるのはおかしいという思い込み
・学校に行かなくてもいいなんて甘やかされているという誤解
この項目では、この3点について詳しく見ていきます。
「努力してる他の子と比べて不公平」という偏見
不登校の子どもが「他の子と比べて不公平」と感じられやすい背景には、学校に通うのが当然だという固定観念や、日本社会に深く根付く同調圧力があります。そのため、不登校の子どもは「当たり前のことをやっていない」と見なされてしまい、「自分(の子)は頑張って登校しているのに、不登校の子は家にいて自由でずるい」と思われてしまうのです。しかし実際には、不登校の背景には見えづらい苦しみや葛藤があり、それを乗り越えるためには相当な努力が必要です。不登校を単純な努力不足によるものと考えるのは、大きな誤解といえるでしょう。
「学校に行かなくても許されるのはおかしい」という思い込み
「学校に行かなくても許されるのはおかしい」と感じてしまう背景には、周囲と同じ行動をとることが当然だとされる社会の風潮があります。日本では「みんなと同じように通学する」ことが当たり前とされ、そこから外れると例外や優遇と捉えられてしまいがちです。特に、保健室登校などの配慮が与えられると、不登校の子どもが特別扱いしてもらっているように見えてしまいます。しかし、それは特別扱いではありません。子ども一人ひとりに合った支援であり必要な配慮です。大切なのは、全員を同じように扱うことではなく、誰もが安心して学べる環境を整えることだといえるでしょう。
「甘やかされているように見える」という誤解
不登校の子どもに対して「甘やかされている」と感じる人がいるのは、学校に行かなくても許されていることや、周囲から配慮されている様子が「特別扱いされている」と映るためです。しかし、これは大きな誤解です。不登校の多くは、精神的な不安や対人関係の悩みなど、深刻な理由が背景にあり、「行かない」のではなく「行けない」状況であることも少なくありません。親や周囲の支えは甘やかしではなく、子どもの心を守るために必要な対応です。不登校を一律に「甘え」と見なすことは、子どもの苦しみを見落とし、さらに追い込んでしまう危険があります。
「不登校=ずるい」が間違っている理由

「不登校=ずるい」という考えの背景には、様々な誤解があります。本人の意思で休んでいるわけではなく、見えない心の不調があったり、通学とは別の形で努力をしていたりするため、偏った見方を避けることが大切です。
本人は好きで休んでいるわけではない
不登校の子どもを「わがまま」と見なすのは大きな誤解です。多くの場合、お子さまは決して学校を休みたいわけではなく、強い不安やストレス、恐怖心などに心が押しつぶされそうになり、「行きたくても行けない」状態にあります。不登校は怠けやわがままではなく、お子さまからの「助けてほしい」という切実なSOSのメッセージです。このSOSを無視して無理に登校を促すことは、心身の状態をさらに悪化させてしまう可能性があります。大切なのは、子どもの声に耳を傾け、背景にある思いを理解・尊重しようとする姿勢です。
心の不調は“見えないケガ”である
心の不調は、骨折や発熱のように明確な症状があるわけではなく、いわば「見えないケガ」のようなものです。原因がはっきりしない場合や、本人が自身の不調についてうまく説明できないことも多いため、周囲の理解を得るのは簡単なことではありません。そのため、心の不調が単なる気の迷いや怠慢だと誤解され、適切なケアが遅れてしまう懸念があります。しかし、心の傷も身体の傷と同じように、本人にとっては大きな苦しみであり、適切な対応が必要です。回復には、周囲の人々がその苦しみや変化に気づき、寄り添うことが大切だといえます。
学校に行かないこと=責任を果たしていないとは限らない
日本では「学校に行くことは当たり前」という価値観があるため、不登校の子どもは無責任だと見なされてしまいがちですが、それは大きな間違いです。確かに学校に通うのは望ましいことですが、だからといって不登校の子どもが責任を放棄しているわけではありません。中には、自分なりの方法で学び続けたり、心の回復に向けて努力している子もいます。学校に通うことは「義務」ではありません。自分の心と向き合い、回復に努めたり、自宅で学習を続けたりと、それぞれのやり方で前に進もうとする姿勢が大切です。
「ずるい」と言われたときの保護者や周囲の対応法

「不登校はずるい」といった言葉を投げかけられたとき、保護者や周囲の大人はどのように対応すればよいのでしょうか。感情的にならず、誤解を解きながら当事者を守るための姿勢や言葉の工夫が大切です。以下では、その具体的な対応法について考えていきます。
感情的に否定せず「なぜそう思うのか」を聞き返す
「不登校はずるい」と言われてしまうと、ついつい感情的に反論したくなるものですが、まず大切なのは冷静に受け止めることです。「ずるい」という言葉の裏には、不登校への無理解や自身の努力が認められていないと感じる不満な気持ちが潜んでおり、感情的にならずに聞き返すことで、相手の価値観や思い込みに気が付くきっかけになります。大切なのは、対話を通じて、「不登校は怠けではなく見えない困難と向き合った結果である」と丁寧に伝えることです。相手に反論し責めるのではなく、誤解を解いていこうとする姿勢が、理解の輪を広げる第一歩になります。
「不登校は選択肢の1つ」であると周囲に伝える
不登校は「問題」ではなく、あくまで数ある選択肢の1つにすぎません。学校に通うことだけが学びの形ではなく、フリースクールやオンライン学習、自宅での学びなど様々な選択肢があり、その中から子どもに合った方法で成長していく道もあります。多様な学び方が認められることで、不登校の子どもも自信をもって前に進むことができるので、周囲がその選択を前向きにとらえ、柔軟に受け止めてあげることが大切です。不登校は逃げではなく、自分に合った生き方を模索する一歩だと伝えていくことが、これからの社会に必要な視点と言えるでしょう。
当事者を守るために大人ができる言葉の工夫
「不登校ってずるい」といった言葉を耳にしたときに大切なのは、当事者を守りつつ冷静に対応することです。例えば、「そう感じることもあるよね。でも、実はその子は苦しんでいるのかもしれないよ。」と相手の気持ちを一度受け止めながら、視点を少しずつ広げるような言葉を選ぶことで、対立を避けつつ誤解を和らげることができます。また、当事者に対しては「あなたは悪くないよ」「ちゃんと自分と向き合っているね」と肯定的な言葉をかけることで、安心感を与えることにもつながります。言葉の選び方1つで、子どもの心を守る力になるのです。
「ずるい」が生まれる社会とどう向き合うか
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「不登校はずるい」という声の背景には、「自己責任」や「みんなと同じが正しい」という社会の空気、そして学校が唯一の正解という無意識の前提があります。以下のような固定観念が、不登校の子どもたちへの誤解や偏見を生み出していることをまずは理解しましょう。
「自己責任論」や「皆と同じが正解」という空気
日本社会には「みんなと同じが正しい」という価値観が根強くあります。そのため、学校に通うことが当然とされ、そこから外れる行動は「ルールを破っている」「努力していない」と捉えられがちです。特に不登校に対しては、「他の子は頑張っているのに、なぜ行かないのか」といった見方が生まれ、「ずるい」という言葉に結びついてしまいます。しかし、人それぞれで価値観や感じ方は異なり、一定の基準だけで判断すること自体が大きな間違いです。社会が無意識に押し付ける「正解」に捉われず、多様な考え方を受け入れる柔軟な視点を持ちましょう。
学校の価値観が絶対という“見えない前提”
「学校に行くのが当たり前」という考え方は、日本社会に深く根付いた「見えない前提」です。公教育は重要な学びの場である一方で、不登校を問題視する声がある背景には、教育制度への過度な信頼と、集団の中で同じ行動を求める同調圧力があります。この前提があることで、不登校という選択が正当なものとして理解されにくくなり、「普通と違う=ずるい」と誤解されがちです。しかし、すべての子どもにとって学校が最適な場所とは限りません。学校での教育を唯一の正解とせず、多様な学び方を尊重することが、真の教育のあり方だと言えるでしょう。
不登校支援の現場が見ている“本当の問題”
不登校支援の現場では、「学校に行かない」という表面的な事実だけでなく、その背景にあるより根深い問題に日々向き合っています。不登校の背景には、家庭環境や学校での人間関係、子どもの自己肯定感の低さなど様々な要因があり、支援者たちは子どもが安心できる環境づくりや、信頼関係の構築を通じて、少しずつ前に向けるようにサポートしています。しかし、不登校に対する世間の理解はまだ十分とは言えず、それにより支援が届きにくいと言う現実もあります。本当の課題は、不登校に対する社会の無理解と、それに伴う支援の不十分さなのです。
これからの不登校との向き合い方

不登校は「特別なケース」ではなく、誰にでも起こり得る身近な出来事です。これからは、多様な学びの形を受け入れ、家庭や地域も含めた新たな居場所づくりが求められています。そのために、私たち一人ひとりが柔軟な視点を持ち、「学校以外の学び」について知っておくことが大切です。
多様な学びの形が当たり前になる社会へ
これからの社会では、「学校に通うこと」だけが学びの正解ではなくなりつつあり、フリースクールやオンライン学習などの多様な学びの形が少しずつ広がっています。また、文部科学省は「学びの多様化学校」を将来的には全国に300校設置する計画を打ち出しており、注目を集めています。こうした変化は、不登校の子どもにとって希望や安心となるだけでなく、すべての子どもにとってより豊かな学びを可能にするものです。社会全体が「違いを受け入れること」を当たり前にし、多様な教育のあり方を認めることで、誰もが安心して自分のペースで成長できる未来が見えてきます。
家庭・地域が担う「次の居場所」の可能性
不登校の子どもにとって、学校に代わる居場所は大切で、これからはその役割を家庭や地域が担うことが期待されます。家庭では子どもが安心できる環境や、否定されずに気持ちを話せる関係づくりが、地域には学習支援や居場所づくり、フリースペースなど、子どもとゆるやかにつながる機会が大切です。身近な大人が「学校に行っていなくても大丈夫だよ」と自然に言える環境は、子どもの自己肯定感を大きく支えます。行政だけでなく、地域や家庭の中でも支えていくことが、子どもたちにとっての新たな居場所づくりにつながっていきます。
「学校以外の学び場」という選択肢を知っておく
不登校になったとき、「学校以外の学び場」があることを知っているかどうかで、子どもと家庭の安心感は大きく変わります。フリースクールや適応指導教室、地域の居場所など、学校以外にも学びの機会を得られる場所は増えつつあります。これらの場は、子どものペースや個性に合わせた柔軟な対応が可能で、学び直しや心の回復に大きな役割を果たしています。「通学以外にも道がある」と知ることが、子ども自身が自分の未来に希望を持つ第一歩になるので、大人がこうした選択肢を理解し、必要に応じて利用を検討できることが、不登校の子どもを支えるうえで大切です。
まとめ
「不登校はずるい」という見方は、多くの誤解や固定観念から生まれており、実際には子どもたちは見えない心の痛みと向き合い、自分なりの方法で必死に生きています。そのため、学校に行くことだけが正解ではなく、学びや成長のためには様々な道があることを、私たち大人がまず理解するのが大切です。偏見の言葉を投げかけられた時も冷静に対応し、不登校への理解を深めようとする姿勢を持つようにしましょう。